ねこになりたい

読書と備忘録

ぼくはイエローでホワイトでちょっとブルー2 ブレディみかこ

「一生モノの課題図書」として話題の本書。「一生モノの課題図書」とはよく言ったものだなぁと感心してしまいます。まさにそうです。子供が読んでも、大人が読んでも、一生かかっても正解が分からないよね、という社会問題が多く取り上げられています。

 

ノンバイナリーの教員、ピリオド・ポヴァイ(生理の貧困)に取り組む教員、摂食障害やドラッグ・LGBTQを題材にするスピーチテスト、昔流行った曲に関するポリコレ騒動、スタートアップの授業、アフリカ系少女とFGM(女性器切除)、日本の避難所からホームレスを追い返した問題、、、

 

これらが13歳の”ぼく”の日常。すごい日常を送っているなと他人事のように思ってしまいがちですが、よく考えると私たちの身の回りでも関係あることがほとんどではないでしょうか。見ようとしなければスルーしてしまう問題もあります。日常の解像度は人それぞれ。他人事だと思ってスルーしてしまうか、ふと立ち止まって考えを深めるかの差だと思います。

「A Change is Gonna Come」

前作でFGM(女性器切除)が話題になり孤立してしまった転校生のアフリカ系の少女。彼女がソウル・クイーンとしてサム・クックの「A Change is Gonna Come」を歌い上げる場面が印象的でした。この曲はボブ・ディランの「風に吹かれて」に触発されて作られた曲で、アフリカ系アメリカ人公民権運動のアンセムだったそうです。

 

差別って何?

辞書には「取り扱いに差をつけること。特に、他よりも不当に低く取り扱うこと。」と記載があります。

自分の”普通”とは違うこと、例えば人種、宗教にはじまり、価値観、考え方、性別、体型、健康、学歴、金銭面、、、その違いへの嫌悪感・恐怖・不快感を感じてしまうのはしょうがないことだと思います。それは差別ではないと考えます。差別とは、これらの違いにより何らかの不利益(または利益)が生じることだと考えます。

違いによる不利益=差別への措置としてアファーマティブアクションという言葉があります。

 

アファーマティブアクション

アファーマティブアクションaffirmative action)は、日本語では「積極的格差是正措置」や「肯定的措置」と訳される言葉です。

差別によって不利益を被っている者に対し、一定の範囲で特別の機会を提供することにより、実質的な機会均等を実現することを目的とする措置のことを言い、性別や人種などにおける弱者に対する差別を、救済していこうとする取り組みを示すものとして使われます。

歴史的に差別を受けてきた弱者の代表例としては、有色人種、少数民族、女性、障がい者などがあげられます。こうした人々も含め、あらゆる人にとって暮らしやすい社会の実現を目指すことが、アファーマティブアクションの目的です。

日本では「男女共同参画社会基本法、雇用機会均等法」が挙げられます。アメリカでは採用や入学の際の「クオータ制」が挙げられます。女性や黒人などを一定の割合で採用し、差別を是正しようとするものです。しかし一方で、クオータ制の導入により女性や黒人に比べ、多数派である男性や白人が進学しにくくなったり、就職しにくくなったりするという「逆差別」と言われる問題も起こっており、議論がなされています。

 

12~13歳がスタートアップの授業

イギリスの中学校ではGCSEという学業資格があります。国語や数学のような必須科目に加え、シティズンシップ・経済・ビジネス・芸術・デザイン・エンジニアリング・演劇など32科目の選択科目があります。

「ビジネス」ではスタートアップの知識を身につけます。イギリスではフリーランスが増加しており、シングルペアレントの自営業は10年で58%も増加しているそうです。フリーランスなんて言うと華々しく聞こえがいいですが、要は個人請負業者としてゼロ時間契約という不安定な仕事をしている人が多いということです。中学生が不安定な仕事の準備をしている、という状況です。

 

生きる力を身につける

スタートアップの授業とまではいかなくとも、日本でも「生きる力を身につける」「収入を得る力を身につける」「納税者になる」という視点は教育において必要だと感じています。

生きるとは選択の連続です。知識と経験に基づいて自分で選択することが必要です。ここでいう知識とは、学校のテストで良い点を取れるという意味の知識ではありません。見たり聞いたりして知ったことだけでなく、実際の体験から感じたこと、得たものという意味もあります。その知識と経験をいかにして身につけるかが重要だと考えます。

「実家が太い」という言葉を使います。両親(または祖父母)に時間的・金銭的な余裕があると、様々な経験をして知識が広がります。それが価値観、生き方に繋がります。

一方で地元の小中学校を思い出してみて下さい。受験を経て高校以上になると同じような学力・価値観のクラスメイトばかりになります。しかし、公立の小中学校は学力・価値観・金銭感覚が多種多様です。”人種のるつぼ”だったなぁと思います。子供ながらに各家庭の違いを肌で感じるという経験も貴重だったと思います。

 

社会を信じられるか

台風19号で大荒れとなった2019年10月。東京都台東区の避難所でホームレスが2名追い返されるという問題がありました。「直ちに命を守る行動を」と気象庁が呼びかける中で、受け入れを拒否するということは命の選別をしていること、優生思想に繋がるという意見も散見されました。

ホームレスの避難所受け入れについては賛否があります。第3者として遠くからであれば「受け入れるべき」と当たり前のように言えますが、自分がその避難所に避難している身だったら、避難所に子どもが多かったら、、、実際に受け入れるとなると、綺麗ごとだけでは済まないこともあります。

ここで記しておきたいのはホームレス受け入れの是非ではなく、支援が必要なのに拒む方々への支援をチャンスだったのではないか、という視点です。これも綺麗ごとかもしれません。でも、生活保護を申請に来ないホームレスが、台風をきっかけにせっかく行政に頼ってくれたのだから(逆に言えば命の危機を感じなければ頼らなかった)、追い返さずに、生活保護申請に繋げられたら良かったのになと思います。

本書では「君たちは社会を信じられるか」という言葉があります。日本の公的保障は手厚いです。万が一の時の生活保護もあります。

社会を信じるために、社会を知ることが大切だと思います。生きる力を身につけるために、社会を知るためにも知識・経験が必要ですね。